株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強131 哲学入門 その9

哲学入門 その9 −なぜへーゲルを読まねばならないか。

古典をとまべちも読めと言っている。
その真意を探る。

思考が飛散することなんて、ある意味では当たり前。
行動が勝手に行われることと同じ。

だからこそ、理性的なものに価値があるのだ。
では理性とは何か。

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理性とは、意識(客観的対象についての意識)と自意識(自分自身についての意識)との最高の統一である。云いかえると、対象の知識と自己の知識との最高の統一である。
理性は、理性の諸規定が我々自身の思想であると共に、また対象的でもあり、すなわち物の本質でもあるという確実性である。理性は自分自身の確実性、すなわち主観性であると共に、有または客観性でもあるが、ここではこの両面は一個同一の思惟の中にある。


1、内容が我々のめいめい勝手に作る我々の単なる表象または思想の中にあるものでなく、対象のそれ自身で存在する本質を意味するものであり、従って客観的実在性を持つと言うこと。2、内容が自我に対して決して外来的なものでなく、何ら与えられたものでなく、自我によって貫徹され、自我のものとせ同化され、その意味でまた自我によって生産された内容であること。
(哲学入門 p150 第二課程より)

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「理性の諸規定が我々自身の思想であると共に」この部分はハイデガーによって否定されたんじゃないか。我々が規定する前から、理性はそこに<ある>。それが存在論の一つの要因だったはず。いわゆる我々人類は理性を思索によって生み出した、という立場ではなく、もとからそこに<あった>ものの発見者であり表現者にすぎないという立場である。

学問に共通するのは、自然科学であれ、まともな人文科学であれ、学問であるが故にそこには普遍性、一般性が求められることだ。その一般性を分かる(=限界を知る)ために古典を読まなければならない。いま世に出ているビジネスノウハウ本は最新の事例を入れているが、前提として一般的でなければならない。そうでなければ幅広い層に受けることは出来ないからだ。しかし、いま売れているということはあくまで現在の消費者にはOKということにすぎない。しかし、古典はその意味で歴史の淘汰をくぐっているのだ。その分だけ深い一般性を獲得することが出来るのだ。時代は過ぎ、社会で話題になるものも変われば、芸能人も変わる。技術は進歩し、古い物は不要になる。その変化を読みとることは実は運の作業であるが、変わらないもの、たとえば言語や恋愛や食事など、そういった物もある。それが不変な理由を知り、認識を深めることは、もっとも確実な自信を生み出す源泉となるだろう。