株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強33 論理トレーニング101題 その2

論理力とは、思考力ではない。「論理トレーニング101題」より

冒頭から、打ち破られた。

この本を読もうと思った、もともとの動機は
「自分の収入を増やそう」という単純なもの。
そこから

ビジネスパーソンとしての考える力をつけよう (稼ぐ力の本)
→論理力をつけよう (リーダーシップ構造論)
→本じゃなくて、トレーニングしよう (上記両著、自分の体験)
→「論理トレーニング」本を読もう。

という流れでこの書とめぐり合った。

だが、本書冒頭からいきなり、このプロセスへの誤りを指摘していただいた。

論理の力といっても、しばしばそう誤解されているような、「思考力」のことではない。

論理の力とはむしろ思考を表現する力、あるいは表現された思考をきちんと読み解く力にほかならない。
それは、言葉を自在に扱う力、われわれにとっては日本語の力のひとつなのである。


なるほど。
つまり、表現すべきもの無くして、思考の存在を認めることはできない。

論理とは思考そのものではなく、言葉の能力を最大限に引き出す道具であるということ。


何に関心を持ち、何を表現したいか。
それは自分自身にゆだねられている。

しかし、あなたが何かを表現したその瞬間、

それは意見の違う他者からの評価を受けることになる。

自分と異なる意見の相手と対話する。
それこそ、論理が要求される最も重要かつ典型的な場面である。
独善的な精神に論理は無い。
論理的な力とは、多様な意見への感受性と柔軟な応答力の内にある。

だから、論理が要求されるのだ。
他者の意見と自らの意見をすり合わせるために。

言葉と言葉の関係において、論理は姿を現わす。


論理は、つながりを明らかにしてくれる、
古くてみなが知っている道具。

だから、その意義と目的を知ることで、
あなたの論理はナイフのようにうまく使えるようになるのだ。


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