株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強34 希望のしくみ

希望のしくみ

養老孟司

■目的
社会で生きるために不可欠な「信」と私のミッションである「希望」の関係性を考える。
 これによって、自分の解釈レベルを一つ上げお金を稼ぐときの「信」の構造についてより深く理解する。

私の考える「希望」
→個人が、どこでも自由なタイミング「少なくとも自分は良くなる」と思えること。

■ポイント
・無常だからこそ、希望がある
「宝くじに当たらなかったと言って、落ち込んで自殺する人はいない。
分からないからこそ、ワクワクするのである。それを希望と呼んでいる。」

→まさにそうだ。(しかし、一方で短絡的な解釈で終わっている気もする。深く考えないと。
深さとは、すなわち長さに通じる。5年、10年、100年、300年と続いたときにね。
絶望が続くことは無いのか?→これを肯定しても希望があることの否定にはならないか)

・仏教は道徳であり、論理的である。自らの期待・希望をいかにして適わせるか。
ということを道理に沿って肯定するもの。

→自殺する人は「私は不幸だ」という状態を「本当だと受け入れている」。
言い換えると「確かに感じている」わけです。それを信じている。

■仏教は宗教か

哲学というものは、「このように生きなさい」といった結論は出さない。
宗教は「これやりなさい」「あれやりなさい」と言うけれど「どうして?」と聞かれると黙ってしまう。
客観的な事実に基づいているのではないから、説明できない。
人間に納得できる理由付けは、しないんです。
だから「客観的に確認できないものを信じること」が信仰です。宗教は信仰型ですね。

しかし、お釈迦様は違う。

お釈迦さまの場合は、答えだって提示します。ただそれを強要することはない。
「こうすればどうでしょうか?」「確かめてみなさい」というスタンスなんですね。
「いま、ここで確かめられます」と。死ぬまで修行しないと分からないなんてことではないんだよ、というところをすごく強調する。客観的に証明できる真理なんだから、いま、ここで自分でチャレンジして確かめなさい、というんですね。
真理は誰でも確かめられるから真理。確かめられるものは、信仰の対象にならないんですよ。だって信じる必要が無いんですからね。仏教は真理しか語りません。

→確かに、そうだ。とっぴな例だが「目が2つある教」が成立しないと同じだ。当たり前すぎて、信じることによって生成される内面的エネルギーが蓄積されないのだろう。「あ、答えがあって安心だ」となってしまう(常人は)。その場で答えが確かめられないからこそ、人はある種の不快感を覚え、考え続けいくのだ。
これが、多くの人は自分が確かめられるものには自分の信仰を寄せず、確かめられないものに信仰心を傾ける現象を読み解くヒントになるかもしれない。
より具体的な現象としては、自分以外の人間との関係性に苦しむ時、また体調など辛い時、物事がうまくいって飽きてしまった時、こういう時にありえるだろう。共通点としては、「平常時ではない時」だと考える。


一神教は、結果として十字軍で遠征したり、いろいろやった。
が、同時にモノをすごいスピードで作り出した。利子を作ったりもした。
一神教が生み出す信じる力が後押しとなって、人間の潜在的とも言うべき力を引き出したのだろう。
「俺は神に守られているから、大丈夫。とにかく真理を追い続けよう。とにかく儲け続けよう。」とか。

■反省

「すぐに答えを求める」という私自身の反省である。その点で、私は幸せな人間だと思う。本当に。いわゆるトリ頭的な仕合わせ力なんですが。その後、やっぱり人に対して実際の行動を持って仕合わせを分けることまで至ってなかったね。

一方で、ここ最近の仏教界そのものも反省すべき点はあろう。
社会は無常。つまり変化しているのだから、仏教もそれに合わせて広げるためには、
変化しなければならないということ。しかし仏教はその意味では変化を怠けてしまった。
だからこそ、明治以降「宗教なんて時代遅れだよね」という中に、オウムをはじめとした新興宗教が闖入する結果を引き起こした。

■今回の結論

「それ以上」を常に考えよう。
私は希望をミッションに掲げて仕事を進めてきたが、
その一方で「自分がどれだけできないか叩きのめすが教育である」という教育論を持っていたことでもある。
ただ、それは「まず自分が楽しくなる。そして周りの人を楽しくしよう」
とする仏教からすれば、それもまた外れている。現代のスピードに飲まれている。
その中で、私が人の役に立てるのはどういうところだろうか?
そしてどの道を行けば、自分がより楽しくなれそうか?を考え続けよう。と伝えていきたい。

何より「自分にできること」をしっかりやること。
「自分にできること」は他人に聞いても出てくるとは限らない。
むしろ、「他人と関わった時の反応」を見た時に最も出てくるものであろう。

人に会わなきゃなー。