株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強37 翔ぶが如く(一)

自分を愛するな。−翔ぶが如く(一) by司馬遼太郎


西郷から学ぶ、現代人としての処世訓とは?


本作、「坂の上の・・・」「竜馬がゆく」を読了した後、
徐々に読みたい、という熱が高まった。
その結果、時間とお金を投下して読むことにした。

それほどの期待をかけた本著から、学ぶべきポイントは。

「自分を愛することが、善からぬことの第一である」

川路は西郷そのひとがまったくその言葉どおりの人であることもよくわかっている。
(一部編)

以前の、今より単純な私であればNO!と言ったであろうこの主張。
自分を愛するな?真逆じゃないか。自分を愛してこそ他人を愛すことができるのだろう?
と憤慨していたかもしれない。

しかし、この言葉は、ここのみを切り取って正しい解釈を得るのは難しい。
この言葉の本意は「下手な自己主張をしたり「私は」と我を押し付けることこそ、周囲を、ひいては天に悪しき影響を与えるのだ」ということと考える。


似たる概念として、ふたつ前のエントリ(芦田先生のtweetより)がある。
物事を成し遂げる前提として理解するためには「対象」を
ひたすら客観的に見つめることで初めて問題の本質が見えてくる。
「私はこう見たいのだ」という意思を入れると
物事の成り行きは歪んでしか見えず。邪魔ものである。

自己愛を持つ。これを適正な量でもつことは不可能に近いことであり、
たぶんに自己愛が我に肥大してしまいがちである。
これが小単位、たとえば家庭内で自己主張を強くする分には、
「なまいき小僧」とか「学生気分が抜けないパラサイト」と
評される程度で終わっていただろう。
しかし、大業を成そうとする人が自己愛を強くした場合、
それがいびつな形を保ったまま肥大してしまう。
(本作の二巻まで言えば、山県有朋がややその気を感じさせるよう描かれているし、最たるものは「坂の上の雲」の伊地知少将だろうか)

だからこそ、「自己」を切り離して物事を捉え、分析することだ。

われわれは他者を理解しようとする場合、その人にあったほうがいいというようなことは、まず必要はない。が、唯一といっていい例外は、この西郷という人物である。

・なぜ、必要ないと言えるだろうか。私は、心理主義の気が抜け切らず
他者をどうすれば理解したことになるのか。疑問に思った。
通常は、その周辺人物からの評判もしくは著述を見れば、
大抵の場合は事足りるからではなかろうか。
ようは、人物が学者にしろ商人にしろ、その人が発する言葉か評判を聞けば
「圧倒的な専門性」(数学者)か「人付き合いのよさ」(商人)は見えてくるものである。
ましてや、評されるに値する人物であれば、他に与える影響は大きいであろう。
以上。

西郷の本質が書生である点は、元来他人への好悪がつよく、他人の奸邪を憎むところがはなはだしく、その意味では巨大な子供である。しかし、西郷は形態としては一大頭目なのである。

それぞれが属している集団が生みあげたものとしか言いようがない。
薩摩人集団は、本来、頭目を欲する。西郷はそのために頭目としての人格をみずからの収容でつくりあげた。

本質を西郷ほどの人でも、
自らの才能を押し殺してでも、時勢から求められる方向に自らを修養することができた。
つまりは、求められる才能を感じ取り、その修養に必要な勉強や時間を知り、それにより自らを習慣付けられること、
それを無理なく平然とやってしまえることが、立派な才能だな。

→自らの努力で、他人に与える印象を変えられる。自己プロデュースは、自分が何をすべきかを見出してからやるべし。●●社の最高のビジネスパーソンとはこうあるべし。的に考えることが必要となろう。