ブログ書き始めてから、それなりに続いている。
しかし、単に続けるだけで文章がうまくなるものでもなくて
相変わらず疑問はつきない。
「なんで、こんなブログをやってるんだろう・・・?」
「うまく文章が書けないことは分かっているんだが、どうしたよいのか分からない。」
具体的には、次のような悩みを抱えていた。
・文章要約を載せただけじゃ、まだ作業レベルである
・文章の調子が安定しない。シャコジのうまいわが社での文章力は誉められることは多い。が、次書く文章は、異常に時間を要する
・気分にムラが大きく、口語か書き言葉か決めてすらいない
・ブログを書くことの前に、ネットサーフィンをして逃避行動に走ってしまう
もちろん、意識と関係なく強制的に行動させるために現実的な積上げ方法はいろいろあるし、試した。
・字数と所要時間を決めて、それを評価していく
・目的−オススメ−引用−意見の方で構成していく
・todoリストに加え、「出来ること」としてひとつずつやること
確かにこれらも有効で現在も継続しているが、問題はそれだけではなかった。
それは「どう書くか」より「どう読まれるか」が問題という事実である。
恥ずかしながらこの事実を知ったとき、大きな違和を感じた。
そもそも自分の思考力養成のために、報酬もでないのに文章を書いているのに
読み手に迎合したことを意識しながら書いても、それは目的達成につながるのか?という問題である。
ただ一方で、この「自分の成長を追い求める」というスタンスで、
我が身の上を考えたとき、壁にぶつかっていたのもまた事実。
痛い事実だが、私には思考の転換が必要なのだ。
つまり、意識のフォーカスを他の方角に向けないといけなくなる。
では、そのヒントをどこからもらおうか。
そうしたときに、一人さんの本に戻ってきたのだ。
もはや信仰レベルとなった私の成長への飽くなき追求心を
転換するには、そんじょそこらの書籍では無理だからだ。
そこから得たのは「周りの人の役に立つ」というコンセプト。
そこには「私が、私が」の我が出てしまうと、うまくいかないよ。ということがとかれている。
(書いてみると当たり前のことだが)
「なるほど。では『人を喜ばせる』ために書けばいいんだな。
・・・はて?人って誰?どうやって喜ばせるの?」と行き詰ってしまった。
そう思ったときは、再度読み返す。すると、
「いまの職場で喜ばせる。今のお客さんを喜ばせる。身近な人(家族、友人、恋人、先輩後輩)
を喜ばせる」と書いてある。そうか。この人たちを意識して、伝えたいことを書けばよいんだ。消して、自分が知った、面白いこと、やりたいことじゃなくて、伝えるべき相手が喜んでくれるようなものになっているか。
それが大切なんだ。
だから、これに気づいたとき、ブログですらすら分を書くほう方がひとつ追加された。
・読まれる人を一人、目の前に置く。その人に、本から得たコンセプトを伝える。
(読み手のニーズをできるかぎり広くとる。狭めてしまうと書けない)
以上がこの本に立ち戻ろうと思った、きっかけ。