■ヘーゲル―生きてゆく力としての弁証法 その1
ヘーゲルという哲学者について少し調べてみた。
ざっくりいうと、どちらかと言うと前向きでそれでいて考えることに妥協しない。
■感想ベース
・僕は、自分の物を考える力に対してコンプレックスを頂き続けてきた。
・モノを覚えること事態は特異だった。特に英語。15歳の時に行ったオーストラリアでは、水族館をはじめ、何から何までメモとりまくりだった。
・そこまで「モノを知る」ことにこだわったがゆえに、きちんと思考ができていない人を見下すクセも合っただろう。
■総括
・収集心、
・「考える力」をつける
■問い
どうしたら、全体性・空間性と、その始まる時点と終わる時点を踏まえたうえで
物事を捉えて考え、それを踏まえた発言ができるのだろうか。
■気になったところ
物事が「ある」から「ない」を経て「なる」時に移る際のタイプについてまとめてみた。
これは各々の言葉の定義ではなく、指示することを洗い出す。
集積…単純な量の増加
展開…内的なものが質的に良くなっていくこと。
行く先を見通したうえで(これまで)と(これから)を連関づけること(本来的に備えていた力が引き出される)
進展…外から加えられてゆく量的な蓄積によって図られる
変化…偶然的で予想がつかない、脈絡のなかで捉えなおす
現代の教育では、発言が大きな景気の流れとなっている。しかし、それは思いつきで発言しても許されることになる。
とはいえ、現実に「良い発言」と「悪い発言」には違いがある。その差の根底に流れるものは何か。
それが明らかになる時、思いつきと一貫性の間にあるものがより分かるようになるだろう。