株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強69 なぜ「思考力が磨かれる文章」は読んでも面白いのか? 論

なぜ「思考力が磨かれる文章」は読んでも面白いのだろうか?(問題提起)

本当の知と言うものは、人を引き付けてやまないほど、面白いものだと信じている。
その意味で「読ませる」文章と、
「思考が高まる」文章は相反するものではなく、むしろ重なるのだ。(主張)

思考力が高まる文章は、歴史を超えて人類に受け継がれてきた。
それは、人の理性的(鋭い!)かつ本能的(面白い!)に残したい欲求が決断した事実であり、
その意味を考察せねばなるまい。(理由)

いったい、どのような意味なのか。
思考力を磨かねばならない場面、それは何らかの「不」に直面した場面だろう。
不平、不満、不幸・・・

「不」はいつどこでも転がっており、人はその応対にしばしば疲れてしまう。
親友は裏切る、上司から云いがかりつけられる、見知らぬ人からからまれる、
持ち物を落とす、顧客は我がままばかり言う。

これらの問題に具体化して完璧に解決しようと思ったら、人生を100回生きても足らない。
100年生きた所で、相手も人である以上完璧な解決はあり得ないのだ。
時は変わりゆく。すると、問題(もその認識)も変化するなんていうことが自然なのである。

これに対応する上で、人が一人一人バラバラだと、
仲間と知の共有が出来ない。
それは勿体無いこと極まりない。人間はそういう感情を持っている。
だからこそ、我々はお互いの共有を効率化することを志向する。

お互いの問題の共有感を高めるためには、概念の共有とその具体的な解決策を持つ必要がある。
共通概念は、大きければ大きいほど唱えるのは簡単で、かつ反論する人はいない。
(世界平和、環境保全、核の根絶)
が、同時に熱中して取り組む人も少ない。(平和や愛を突き通した人となるとマザーテレサぐらいしか一般的には浮かばない)
しかし一方で、具体的な敵(ユダヤ人を滅ぼせ!)を提示することでも
人をスピーディに動かすことができる。

具体的なアクションと抽象なビジョンのはざまで人類は常に揺れている。
その差分を埋めるべく問題を解決することを繰り返している。
それだけ大きなビジョンに根底では共感できるからこそ、
感情は動くし、無意識ではそれを解決したいと思っている。
そして解決へのアクションが「見える」時、また人は
しかし人は疑りぶかい動物である。それもまた我々が5000年生き延びてきた条件の一つかも知れないが。

その納得するための構成、ひらたく言えばロジックが必要なのである。
だから、卓越した思考力を求める。それは問題を解決できる可能性を高めることと同じだが、
それは、生き延びるために必要な仕掛けなのではないか。

まとめていっちゃうと、
本当の意味で、問題が解決される(それが理性的な問題にせよ、感情的な問題にせよ)ことを
感じ取っているからこそ、何らかの面白味を感じるような仕組みがはたらくのではないか。