株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強80 哲学は人生論とは何の関係もない論

哲学は人生論とは何の関係もない。

なぜか。人生論には必ず「こう生きるべし」という主張(結論)がある。
(結論は事実ではない。ゆえに客観性の度合いが薄くなる。思い込みであることを排除できない。最もここの人間により見ることが違うので、厳密な客観的事実は世界に存在しないのだが)

しかし哲学(Philosophie)は、認識上のものに対して合理的な態度を持つものであり、
ざっくばらんに言うと「こう認識すると、こういう解釈が生まれる」とが言えるのみである。加えて、論理的に確証性がなければならない(学問だから当たり前だが)から、複雑系のきわみである人の生き方、ましてや行動のあり方に対して言及するなどできるはずもない。(論理実証主義というらしい)

この哲学のあり方を実践的に言うのであれば、投資の概念に近いものだと捉えている。
投資界の原則の一つは「リスクは管理できるが、リターンは管理できない」というものだ。
これを人生論的に解釈すると、「人は不幸になることは防げるが、幸福になることを達成はできない」ことが言える。
人が物について真剣にかつ高速で考えるとき、不幸とまでは行かなくても不快を覚えた時であることが多い。(経験的に)(不快というのも現実には個人の解釈だが)ということは、結果として、人が不快に感じるときにどういったメカニズムが働いているのかを知ることにつながるのだ。
そして、人※は認識上でその構造が見えたり分かったりした時に、安心感を覚えやすい。逆に言うと人は、その構造が分からない場合には希望を持つことが難しくなる。たとえ打ち手がないと分かった場合にでもだ。たとえば、仲の良かったカップルが突然分かれてしまうことがある・ある日突然、旦那から奥さんに一方的に別れを突きつけたとするのだ。このとき、奥さんとしては「なんで?」と思わずにはいられない。誰しもそうであろう。これは強く気になるがゆえに、人によっては「その理由が知りたい」と強く相手に意見を求めるようになる。(そしてストーカーと成ったりもする)
しかし、死別の場合はこの限りではない。それは、別れが突きつけられた「理由」が明確であるからだ。(さらに自分の落ち度となることも少ない)

だから、哲学を学んだからといって幸福にはならない。幸福的な状態になることは、理論を積み重ねるより行動することによってなることの方が多いからだ。そして理論としては、不幸の状態を考えたり、常にあるはずのものに疑いを持ったりという意志を持って判断せざるを得ないことの方が多いから、不幸になり安いのだろう。
ましてや不幸という状態について考えたりする方が多いから、ニーチェのようになることもしばしばである。

※主に男性の方がこの傾向は強い。その分、男の方がもろい。

以上から、哲学は認識上の作用や構造を分析するものであるが、そのことによって幸福になれるかというのは本質的な目的と関係しないことの証明である。
(自分の将来に変化を期待している人にとっては、ちょっと寂しいけどね。)