株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強81 哲学入門(ヘーゲル) その4

宗教とは何か。
哲学入門(ヘーゲル著、武市健人訳)

宗教の本質は、感情と思想から絶対的本質をつかむことにあり、また絶対的本質の表象を現前させるというところにある。そしてこの点に、この超越において自分の特殊性を忘却することと、この意味における行為、すなわち絶対的本質との関係から行為することが必然的に結びついている。(p120 第一課程 宗教論 七五)

本当の意味で宗教の良いところは次の3点である。
1)「自分が絶対だ」という自我意識を超えている
2)確信を持って堂々と生きることができる
3)あまり疑わなくて、とりあえずやっていれば良い

特に重要なのは2である。確信を強めるために教義をつくり、教典を持つのだ。だから俗世間的に人々が「宗教っぽい」というのは信仰のみに集中するときである。
(宗教とは何か。を問うに当って、その定義を事典的に引き出すのは意味がない。このヘーゲルの分析の方がよっぽど良い。そもそも定義というのも確信を担保したい認識上の仕組みでしかない)

神の奉仕は、思想と感情とから神をつかむ我々の態度(すなわち宗教)の特定の形態である。すなわち、それによって個人は神との合一を成就しようとし、またこの合一の意識と確めとを得ようと努める。つまり、個人は自分の意志と神の意志とのこの一致を自分の現実生活の心情と行為の仕方とによって証明しなけらbならない。
(p122 第一課程 宗教論 八〇)

この論の前提として、人々が欲しいのは本質的には<正解>ではなく<確信>であるという現実を発見した。歴史的に見て、確信が得られない正解は、しばしば退けられてきた。それがどれだけ正しかったとしても、人類が間違いに気づくのは後々のことである。ガリレオしかり、あとウェゲナーしかり。当時、ガリレオの地動説が正しいかを確かめるうえでどのような方法がとられたのだろうか。それは、科学的アプローチによってではなかった。いわゆる宗教裁判だ。天文学に対して知識を持たない人間によって、その説に納得が感じられるかどうかであった。たとえ、どれだけ性格的に良い人であっても学問理解がない状態では、正しい答えが得られず、従ってその人が下す判断に妥当性はない。
人々はそういった過ちを数え切れないほど犯してきた。時代が進み、それはマズいねということで改善する仕組みを進化させてきた。永久記録や科学的アプローチなど。しかし、その裏には数え切れない失敗があり、それを生み出すのは人間の「確信」を求める行為ということだ。

宗教は絶対者の表象における把捉であり、哲学は絶対者の概念による把捉であるということは、ヘーゲルの終始一貫した考えである。

表象・・・観念、ある場合は知覚に対して再生心像による対象意識をのみを表象と言いう。この際にはとくに再生表象といい、記憶表象や想像表象が含まれる。(あいまい)(平凡社 哲学事典より)

げん‐ぜん【現前】
[名](スル)目の前にあること。目の前に現れること。