株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強82 哲学入門(ヘーゲル) その5

勉強82 哲学入門(ヘーゲル) その5

哲学入門(ヘーゲル著、武市健人訳)

常識、哲学とは何か。精神現象学と論理学(中級)

いささか勉強の内容を先取りして、将来この理解を目指そうという
目標としての引用を取り上げておく。ヘーゲル哲学をより高速で理解するため、
本ブログの質向上を促進し、より人類全体の知の質を向上させるためである。

ちょっと崇高過ぎないかって?

一応書いておくよ。たしかに現実を見るとアクセス数も少なく、私一人の理解を自己満足的にやっているだけじゃないかという批判もあろう。しかし、本質的にはここで私が出している理解がどのように流用されるのかは分からない。ネットは世界とつながっており半永久的なログがあるのだだから。そして、いつか、日本語の分かる誰かが、私と同程度の理解レベルで哲学を知ろうとした時に役立つ行為となるかもしれない。《確かに、ヘーゲルと連呼されまくっているので、ある種検索にもひっかかりやすいかもしれない 笑》それは、意図しているものではないが、本ブログをやっている限りは、その可能性を否定できないということだ。ちなみに本ブログの意図としては、私のような知識理解レベルや環境で、どこまで認識ということを一般化かつ内実が伴ったものとして捉えられるかに日々挑戦するという位置づけにしてください。

常識(日常の知識)は、ただそれが知ろうとする相手の対象だけを表象する(考える)が、しかし同時に自分を、すなわち知識そのものを表象しない。しかし、知識の中にある全体は対象だけでなく、知るところの自我でもあり、自我と対象との相互の関係でもあり、つまり意識である。
(p124 第二課程 精神現象論または意識の学 緒論 一)

哲学においては、知識の規定は、ただ一方的に物の規定だとは見られない。むしろ物の規定と物とを共に含むところの知識が問題である。云いかえると、知識の規定は客観的規定としてのみでなく、また主観的規定とも見られる。またむしろ客観と主観との相互の関係の特定の形態だとも云える。
(p124 第二課程 精神現象論または意識の学 緒論 二)