株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強84 実践的意識とは何か論

実践することの本質は、対象を変えることにある。

理論的意識はあるところのものを考察し、それをあるがままにしておく。これに反して実践的意識は活動的(行為的)意識であって、あるところのものをあるがままにしておかないで、あるところのものの中に諸々の変化を作り出し、自分から諸規定と諸々の対象を算出するものである。
(p28 第一課程 緒論の説明 四)

実践的とは、あるところのものに諸々の変化を生み出さなければ生み出さなければならない。本当の行動とは、規定を自分で作り、対象を定めるものである。

政治や社会運動で私が嫌いな言葉に「変える」というのがあるが、それがゆえに、なぜこの言葉は大勢の人を惹き付けるのだろうと感じていた。それは、行動することに対して希望を持つからだ。(また同時に、現状を変えたくないという恒常性も持っているが)

だから、実践するという本当の意味は変えるということだ。変えることを目指すからには「良くしよう」という感情、つまり期待があるはず。ならば「よくしよう」とは言わない。なぜなら、それは現状の不満を取り除けるのか?という疑問を聞き手に与えてしまうから。聞き手の関心が払われて(英語で言うとpay attentionですね)いるのは、とりあえず現状の不満を失くしてくれることです。そちらの方が確実性がある。良くなるかどうかはあやふやである、ということは相手側も潜在意識のうちには分かっているのです。
(字義通りに「よく」しなさいよ、というのは論理的過ぎる私ぐらいのものです 笑)だから、「良くする」ではなく「変える」。もしかしたら「変える」ことによって「わるくなる」こともあるかもしれない。いや歴史を見るとむしろ「変えた」ことで「わるくなった」ことの方が多い。(dankogaiは20世紀で)

だけども、「変え」なければ「よく」なる可能性もなくなる。月並みな言葉で言えば、挑戦なくして成功なしということである。
だから、「変える」。変化をさせることを意識しなければ、実践とは呼べない。


同時に、目に見えるものであれ見えないものであれ、変化を及ぼすということは誰かに影響を与えるということです。そこから

それが「実践的」ということです。「実践的」とは、「理論的」の対立語なのではなくて、「個人的」の反対概念なのです。

つまり、今後ブログを書く際に「実践的な内容ではないな」と感じたときは、
それは対象(見ていてくれるはずの誰か、響くはずの誰か)に対して、「変えてやろう」という意志が弱いことに起因するのだ。
書評としての、ブログ記事を書くときに相手を「変える」作法は、
こちらで取りあげた。
http://d.hatena.ne.jp/show_t/20100429