株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強85 モチベーションに左右されない論

勉強85 モチベーションに左右されない論


日々、仕事をしていく中で「安定して成果を挙げたいなぁ」
「なぜあの人は周りから信頼されてステップアップしているんだろう」
って思うことありませんか?
私は自分が思ったような活躍ができていないとき、
いつも強く思うテーマがあります。

どうすればより信頼を得られるのだろう・・・と常に考えることでした。
見せ方や話し方といった表面の部分もありますが
より深い部分での改善も必要ですよね。
「信頼を深めるうえで、阻害要因があるとすれば何なのか?」
と問うたとき一つの仮説が思い当たりました。

それは「成果がモチベーションに左右されてしまう」ということ。
(今日も会社で変に表情が気合入りすぎて「迷惑そう」とか言われました 苦笑)
ある意味で生理的な問題であるんだけど、そんなのは社会人としては
単なるワガママだし、いくら言い訳をしても改善されないし
自分でコントロールできる問題だなと思っていました。

では、なぜモチベーションに左右されるのか。
そもそもモチベーションというのは低次の欲求であり、
感情と同じで簡単に上下する。
そして人間は感情も、環境もそうだが変化に弱い。
雨が降れば風邪を引く。
人類は変化に振り回されながらも、変化の高低に溺れず
パフォーマンスを発揮することを希求してきた。
そのために文明を発達させてきたという一面がある。
そしていわゆる外科的な措置・工夫によって安定的な生活を
実現してきた。
暑ければエアコンをつくるし、
雨が降れば傘を差すし、怪我をすれば治療をする。

とはいえ、どれだけモノを用いて安定させたとしても、
人間の奥深く、心理的な要素を変えるまでにはまだ至っていない。
(ゆえに他の人と差がつけられる部分でもある)
そもそも、人の心とはコロコロ変わるものだから「こころ」と
言うなんて小ネタもはさみつつ。

卑近な例でいうと現実このブログもモチベーションに
左右されずに書きたいなと願いつつ、日にちや量などが左右されてしまう。
かの哲学者ハイデガーが「人を動かすのは気分である」と言っています。

前向きさを受け入れながら、自分の心を上向かせるために
自己啓発書が求められている。これは読むと心のごほうび、というか承認欲求を
満たして欲しいものだから。

この(不確定的な)要素を活用して商売につなげようとする人も少なくはない。


が、それを認めつつもそこで「うんそうだね。啓発書マニアがいるね。おれはそうならないよ」で片付けてしまってはコレもまた現実逃避にしかならない。気分という性質をうまくコントロールしなければ、他者からは認められないとい。この辺の認識は甘くなりがちなので突っ込んででおく。

「心が大事だ」と言って人生が好転するわけがない。
(「技よりも心」という船木はまけ、「心よりも技」というヒクソンは勝った)

「心が大事」という場合、多くの場合は思考停止になっている。
そして思考停止になるということは、そもそもの執着心が足りないから、
魅力として移らないケースも多いですよ。

思考停止して幸運が訪れたとしても、そこに人間的魅力は宿らない。



人は変わりますが、変わらない部分も確実にある。(明日になっても日本語は忘れない、とか。)
ということで、ここからはオピニオンです。
深く追求するよりもそういうものだと割り切ることが必要です。
(割り切るために、構造を深く知ろうということでしょ。)

むしろ大事なのは、その種の目標に対して、
人間はディスアドバンテージを持っているものと判断し、
続けられないことを続けることは大変なことで、
あの手この手を使わないといけない。ということ。身もふたもないですが。
逆に見ると、それだけ追いかけられるテーマとして、生きている間中、追求する価値があると信じている。

その上で、良くなりそうな手段は、今後、様々な形で紹介していこうと思考しつつ、
本論を終える。(つまり、まだまだ出来が甘いと感じていることを認めています。。。いまはこの辺で。)


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