株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強92 なぜバカほど知りたがるのか論

「なぜバカほど知りたがるのか。」

(前ふり)
仕事で指導をしていると、よく聞くせりふがある。
「どれだけ知識を溜め込んでも、コンピュータにかなわない。これからは自分で考える力が必要」

ある程度社会経験をつんだ方であれば
「もう何度も聞いたよ」というレベルで聞いたせりふかもしれません。
しかし、どれだけ言っても、これが「実践」されていて、
さらに習慣レベルにまで落としこまれている人は少ない。

なぜなのだろうか。すごく大事なことのはずなのに。
一歩深める上で「考えるとは、その対義語を思い浮かべること」だっけか、のような言葉もあるように
対義語を思い浮かべて検討してみよう。就職で言えば、楽しい面だけでなくキツい面も知らないと本当の意味で心もとないように。)
ゆえに、今回は「バカほど知りたがる」ということがテーマ。

バカとはどういう状態をさすのか。バカの本質とは何か?

バカとは、物事の判断ができないさまにあるとする。
周りから見て「乗り越えるべき」とされている課題(例 受験勉強、交通事故の処理、親の養育)をどのように解決すべきなのか。を、イメージできない(従って提示もできない)状態である。

もう少し特徴を細かく見ていこう。

バカの特徴

1.相手の言うことを疑わなさすぎる。 態度としては人を信ずる態度で好感はあるが「それは本当か?」と対象の確信性について考えることがない。自分の意見が無い。
つまり、それが、一貫性或る態度、正確に言うと自分や相手にも拠らない対象に対する「誠実」な態度が取れていない。(一応言及しておくと、これは「自分にとっての意味は?」と考えるのは違う。こちらは「自分」を考えた時点で目標のとり方に
不明瞭さを許してしまっている。それを守らなかった時に、他者に分からない。)

→ただし、それと同時に人は「自分の言うことを信じて欲しい」という思いのもとで発信をしている。だからこそ、一般的な「聞く」態度としては
「あなたのことを信じてますよ」感を出す方が信用を得る。単純ながらも人間の矛盾性。(哲学で追求されるべきテーマなのかも知れない。というか追求されているだろうが、私が無知なのだろう)


2.「知識があるやつほど偉い」と思っているから、知りたがる。

知っているよりも、正しい(確信性が高い)ことの方が価値があるのに、そこまで考えが至らない。(バカではないやつはここを確り弁えている。たとえばチームであれば、個別知識ではなく目標に照らして確信性の高い短い話の方が好まれることを知っている。)


知ることの特徴は

1.知識が増える。自分にっとって、今後役立てる打ち手が増えることもある。
が、多くの場合はその瞬間での感情的利益を優先する。詳しくは以下。
2.安心する。その瞬間は感情的にうれしくなる。
他人に教えられることが増えて心理的に有利に立てるかもという期待感が増える。(実際、「教える」講座は結構人気らしい)

特に「2」が先にたってしまう人は、「自分をよく見せたい」ほうが先立ってしまうので
「疑う」行為がなくなってしまう。これは思考停止に陥る。

知識の役割

知識というのは、厳密に言えばその物事を指示する昔の記述でしかない。
「1192年、鎌倉幕府が開かれた」は知識である。しかし、一歩突っ込むと、これも様々な<約束の上に成り立っている>。その約束から考えてみると疑問はたくさんある。

・そもそも日本の歴史なのに西暦1192年というカウントの仕方でよいのか?
・幕府が開かれた、ことを示すための
・本当に1192なのか?1年早くも遅くもなく。その当時はどんな元号の数え方をしていたのか?
・「鎌倉幕府」という言い方はどのようにして決まったのか?なぜ鎌倉幕府という呼び名なのか?その理由は何か?

こういった疑問を持てるか、持ち続けられるか、他の場面でも考えられるか、というあたりが勝負を分ける。思いつくこと自体はそれほど難しくないはず。

そして、そもそも古典が残っている理由としての「ストック」は、この「鎌倉幕府が1192」と言う事実をいくら積み重ねても到達できないものである。物事の因果関係や構成を知るということだから。

この辺の詳しいあたりは別の機会に述べるとしよう。今回は、これぐらいでしめくくりたい。しめの言葉として芦田先生の箴言を置いて終わりにしよう。

知ることは思考をほとんどの場合、麻痺させている。バカほど知りたがる。
知識欲は自己中。バカの代償行為。