株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強97 なぜ定義は存在しないのか論

物の定義というのは存在しない。

ヘーゲルは、「即自的に存在しているものは対他的にも存在している」と言う。

(ただの独白から、説得力の高い文章運びへ。)
私は思考力が不足していることにコンプレックスを抱いてきた。
それを克服するためには、細かな現場での作業スピードを上げるのもナシではないが、
むしろより高次元で、物事を見る視点を増やさなければ将来はないと感じている。
そこで哲学的な観点から物事をばらして再構成し、縦方向でも横方向でもよいので
新たな分析を加えたく思いブログを書く。書かないと読めない、つまりインプットも入ってこないし。

さて、思考力を高めるにはどのようなアプローチが良いか。
ひとつは徹底的に論理的に書くのもありだろう。
しかし、ここでは視座をひろげ私の思想範囲や網の荒さを補うものを志向する。
即ち直観の優先順位を高めて

心理主義的には、少々気が引けなくもないが、とはいえ荒く単純な理解すると、
ヘーゲルのような賢者により、これまで人類が積上げてきた哲学体系の緻密さから見れば
凡百の人間はバカのよう、という見方もあるので、そのことを理解しつつ空間的に積上げる。)
 →或いは私よりバカな人(明らかな若さ、幼さ、低学歴さ)に対してこそ、この立場をとって接せれるかで自らの理解度を試されていると思え。

■要約

「これは絶対に自明なもの!絶対真理である!」というものはあり得ない、ということ。
なぜなら、全てのものがそれを必ず表しているわけではない。
『林檎は赤いものである』としたとき、その赤さに「絶対的」なものはない。
燃えるような赤もあれば、消えかかりそうな薄い赤、むしろピンクのようなものまである。
つまり「林檎は赤い」という規定は、形容詞的な性格を帯びているということだ。


これは、哲学だけでなく、ビジネスシーンなどにもこの考えを応用することが出来る。

なぜか。GDでは「絶対」はあり得ない。
言葉の定義をしないと始まらない、というが
厳密に言って、本当に言葉の定義は可能なんだろうか?

手始めに、「定義」という言葉の定義をしてみよう。
「定義」とは?物事を定めるための約束事。つまり、その場にいる人間による確信が外せない。

たとえば「愛」の定義はなんだ。そんなもの無理なのだ。
言葉の役割とは、それが指示することをさしている、つまり「愛らしいもの」を指している、
ということで、議論やコミュニケーションが不備にならないレベルの確信度がお互いに担保できればよいのだ。

極端だが、それをやっておかなければ
「俺はそれは聞いていない」「私の場合はそうではない」という
個人的意見にとどまってしまう。
その確信度は、どこまで議論を尽くしても、とどのつまりはその人にしかわからない。
だから、コミュニケーションの断絶をやんわりとしていることに他ならないのだ。
(以前書いたエントリも似た角度で話をしていた)

だからこそ「絶対的なものは存在しない」、
「規定は絶対ではなく、性質として形容詞に移行する」
ことをヘーゲルは云ったのだ。


・空間的な反省によって、対象を見つめる時間をとどめておくことができ、対象の構成の中にある
理を知ることが出来る。

・即自的とは、即ち自らあるということ、対他的とは、相対的にのみ存在すること、である。

ヘーゲル「大論理学」は、現在・過去・未来の3つの時間性で成り立っている。
存在とは現在、本質とは過去、概念とは未来に対応しているのかな。