「日の下に新しい知識なし」と言われる。
一見、新発見や新技術に見えるような仕事でも
その99%は既存の知識の組み合わせである。
しかし、我々は買う側でも/作る側でも、新しいものを追い求めている。
我々は、本来的に何を求めて仕事をしているのか。
それは自己を前向きにしてくれるもの、
その中には本質的には否定を含みつつも、葛藤を乗り越えていくこと。
それが求められる。
純粋な意志にとっては特殊性は問題ではない。意志において特殊性が問題である限り、その意志は恣意である。
(p49 第一課程 緒論の説明 二一)
人間の意志それ自体は、処々の制限や規定によって損なわれるものではなく、
それはあくまで意志の自由のための条件であるのだ。
例えば、教育は人間を自立的な存在にするという目的、すなわち自由意志をもつ存在にするという目的をもっている。
この意図のために、子ども達には彼らの快楽にいろいろの制限が加えられる。彼らは服従を学ばなければならない。
これは、彼らの個人的な意志、云いかえると彼ら自身の意志が捨てられ、また更に感性的傾向や欲望への依存がすてられ、そうして彼らの意志が自由になるようにするがためである。
(p49 第一課程 緒論の説明 二一)
意志とは、快楽に身をゆだねて支配されることではなく、
快楽にあえて制限を加えることで、より大きな自由を獲得するものである。
その手段として、規定が存在するのだ。