■学問とは何か。
このテーマを考えるうえで規呈命題※(≒大前提)(大前提は、三段論法を考える際、小前提と区別されるもの)を述べておく。
それは「人は言葉を持つ」ということだ。
(3つの規呈命題)
・人は生きながらにして知を求める動物である(人は生きながらにして性を求める動物である)
→反対概念を考える。性を求める行為は性を知る前から始まっている。もっと言えば<言葉>を知る前から始まっている。言葉を知る前だから、文化も倫理もある以前からあるものだ。だからこそ、知を求めるというのは「必要性」に迫られてやっていること、つまり飲食や排泄のように半強制的にやることではない。(21世紀でも勉強が大嫌いな人もたくさん居る。)そこには、純粋な欲求があることを示している。
→そして、知を求めるためには記号が必要になる。
・人は<他人>と関係を求める動物である。
→共感(フーコーの指示するところの)が必要。反対概念としては外国語を話す人たちを考えればよい。いくら他人と関係しようとしても、言葉が通じる人たちと通じない人たちでは、どちらの方が関係できるか。それは自明だろう。(タイタニックかキャストアウェイみたいになれば言葉も減ったくれも無いが。)
・人は自らの名を残したがる動物である。
→名を残すためには<空間>性が必要。後世にも残るもの。長く、音は残らなかった。
以上、3つを同時に満たす道具として人は言葉を得た。
さて学問が成立する条件としては、「言葉の存在」(存在とは言葉であるから(ハイデガー)おかしな話だが)と、
その位相つまり組み合わせ、関係性の在り方が問題になる。
次回は関係性、そして学問としてそこにあるものについて考えてみよう。