一貫した態度がなぜいいのか。そして一貫した態度を保つためには何が必要なのか。それを妨げる要因は何か、どうしたら回避できるか。
■問い:
仕事がなかなか期限通りにあげられない。気分が乗った時にちょこちょこやっておく、というスタンスはいいなぁと
・三谷さんアプローチは自然に沿った形。実用的で便利だ。(コンサルタントの整理術)
→自分の気分が乗った時(ハイデガーですら、人間の行動を決する時の要素は「気分だ」と言い切っている)
→これは「感情的」ともいえる。「私のテンションがあがったから」やるんだ。これは斉藤一人さんの哲学にもある。感情的だと気持ちがいいですよ、みたいな。
・しかし一方で、人工的なものにも重要。
→明石家さんまがすごいのは、周りが泣いていようが、「エンターテイナー」として一貫した態度をとるからだ。
→教育とは元々、人工的なものである。
→仕事においても、感情的に対処している人は信用されづらい。(あぁ、まずいまずい。と狼狽する人。芦田先生いわく「中小企業の社長どまり」である。要するに周りの人は理解コストを払ってくれないからだ。いい例が政治家であろう。ちょっとでもブレることがあれば、メディアからあげつらわれて、指示率を下げる材料として使われる。
■でも、もう一つ着目すべきなのが「割り切る」ことなのだ。当たり前で言われていることだけど、なかなか分からないことがある。
それは「時間をかければよいものができるはず」という思いこみである。そして、防ぐべきなのは「〆切を守ってやったけど、時間内にできたものは、本来の実力を出し切っていなくて、ちょっと時間かけたものの方がよかったのに」という感情。つまり「時間オーバーにしないことはソンをしている」という思い(解釈)になっているのでは。
元々、何かしらの活動があったお陰で新規でとったのに、既得権と思いこむことによって「当たり前」としてレベルが高くなる。しかし、その一方で「それができなかったこと」による不満感を覚えて、いやになることがある。
例をあげよう。毎日19時過ぎにスーパーに行っていると、3割引で商品を手に入れることが当たり前になる。そうすると、割引前に完売してしまった時は、通常では考えられないほど、損をした気分になるだろう。この気分なのだ。話を戻すと「時間をかけること」が当たり前になっていればいればいるほど、このような思考法ができなくなる。
ではどうすればいいのか。スタンスとしては「人間は考えすぎてすぎることはない」にたつことがよいだろう。やや理想論dが。(基本的には。やりすぎると病気になってしまうので、そこは個人の自由に任せるしかない。)
究極は自己完結せずに他者と約束することになる。他者からの信用リスクを負いたくない、でも良い物をあげたい、というのは子どもの論理なのかもしれない。いま、わたしは、あなたは、どのくらい大人なのだろうか。