株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強126 言葉と物 その1

言葉と物 その1

第四章 語ること 三 動詞の理論(P119)

■動詞とは何か。

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二つの物のあいだに主辞=属辞関係が肯定されるとき、つまり、AはBで<ある(エートル)>というとき、そこに命題−そして言説−が生じるのだ。すべての動詞は<ある(エートル)>を意味する唯一の動詞に帰着する。
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(感想)この部分が、著者の<心>ではないかという仮説を持つ。根拠を述べる。動詞の本質を表す、つまり最も普遍性ある部分を示している一説だからだ。

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さらに、彼はこう述べる。

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存在を指示する何らかの仕方がなければ、言語はない。けれども、言語がなければ、言語の一部にすぎぬ<ある>という動詞もない。この単純な一語は、存在が言語のなかに表象されたものである。だがそれはまた、言語の表象的存在−すなわち、みずからの語っているものを肯定することを言語にたいして可能ならしめることによって、言語を真偽の判断を受けうるものにしているところのもの−なのだ。この点において、この一語は、他のあらうる記号とは性質を異にする。それらの記号は、指示するものに適合し忠実であり合致していることも、あるいはそうでないこともありうるが、けっして真でも偽でもないからである。記号によって示されるものの存在へ向かって記号の体系をまたぎ越えるこの一語の独異な力により、言語は徹頭徹尾<言説>となるのにほかならない。
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つまり、<ある>という唯一かつ本質的な動詞は、語られているものを肯定する役割をはたしている。これは他のどの記号でも果たさない役割だ。記号の体系をいくら並べた(すなわち名詞の羅列)としても、<ある>という動詞がなければ超越することはできない。その作用により<言説>が生まれるのだ。

(叩きのめされるの覚悟で自己解釈。人は一度は叩かれると書いて命と読む。自己評価。自画自賛。)

ハイデガーからすれば、人間という存在者が存在として<ある>ところとなる。存在から存在者へ超越する。そのように考えると、名詞が名詞単体で存在することは
「めがね」と「めがねがある」ことは区別できるのだろうか。できるとすればなぜできるのか。(言葉上で表現をしているのだが。)(参考例:「雷の音」はそのように表現された時点で、誰も聞いていなくても<ある>、音として成立することになるのだ。