いま、書店に出回っているあらゆるノウハウ本には
すべからく”源流”がある。
いわゆる古典と言われるもので、それなくしては子本・孫本の存在はない。しかし、そうした本はとにかく目立たない。たまーに、「ダ・ヴィンチ」のような雑誌に紹介されたりもするけれども、それがキッカケで本を手にとって見ても大抵の人は続かない。
中には、あまりに自己顕示欲が強い、他の人と違うことをとにかくしたがる人もいて、小学生のうちから太宰を読む人もいる。しかし、そういう読書は続かないし学びがない。(読む前と読んだ後の変化、衝撃がないのだ)刺激を欲する「中毒」になっているだけだ。その状態に気づかずまた新しい刺激に走る。
長く人の心を打ったのはなんでだ。
仮説としては、思想が確立されて、素晴らしいからではないか。
だとしたらなぜ素晴らしいの?
どのように素晴らしいのか?について深堀していきたい。
■そもそも「知的生産」の「技術」とは何か。
管理者のイメージによると頭で考えることで生産的なことをすること。だと思っていたが、違うようである。
知的に生産するものは何か。それは情報である。
しかし一方で、情報は常に知的活動から生産されるとは限らない。歌舞伎や音楽のように生産された物は情報だが、そのための原理は肉体によるものもある。これは肉体情報生産とも呼ぶべき物である。
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肉体労働によって物質やエネルギーを生産する
知的活動というものは、(中略)いつも情報を生産しているのである
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知的生産の反対概念は何か。それは知的消費である。
そもそも消費とは、物を食べたり、お金を使ったりといった消えて費やすものを指すことである。では、知的な消費とは何を消費するのか。それは情報である。
■読書
カードに記録をつけなさい。後から見返す時にすぐ見返すことができる。