演繹法について v2
演繹法とは既呈命題を大前提と照らし合わせて意味的包含関係の判断をくだし、必然的に成立する命題を結論として導き出す論理展開である。
演繹法は「既呈命題」と「大前提」と「結論」という構成要素から成り立つ。
既呈命題は(所与のものとして)外生的に与えられている(命題である)。大前提は思考者によって設定される(命題である)。そして、結論は既呈命題と大前提の意味的包含関係の判断によって導き出される。
演繹法とは客観的に「正しい」結論を導き出すための方法論である。この「正しい」とは「真である」とも呼ばれる。すなわち意味的包含関係の判断によって結論が真であるか、真ではないかの判断が下される。
真なる結論を得られるのはどういう時か。それは大前提が意味内容的に既呈命題を包含している関係にある時である。既呈命題が大前提の真部分集合的関係である時に真なる結論が得られるのであって、それ以外の関係にあるときには、得られる命題は真なる結論として成立しない。どういうことか。(なぜそれ以外の関係の時はだめなのか。)
すなわち「既呈命題を意味内容的に包含していない命題を大前提として設定しても、結論は得られない。」p120ということだ。
それ以外の関係は大きく2つのパターンがある。一つ目は既呈命題と大前提が意味内容的に何ら交わらないパターンである。例えば既呈命題が「AはBである。」というときに、大前提として「CはDである。」を設定する場合を考える。このときAもしくはBと、CもしくはDが何ら意味内容的に関連を持たないものであれば、包含関係は認められない。このとき既呈命題と大前提はかい離命題であり結論は成立しない。
二つ目は「一部は交わっている」ケースである。既呈命題と大前提が何らかの交わりを持っていたとしても、既呈命題が大前提の真部分集合ではないケースや、既呈命題の意味内容の範囲が大前提よりも広いケースである。たとえば「AはBである」が既呈命題のとき「CはBである」を大前提として設定すると得られる結論は「AはCであるかもしれないし、Bであるかもしれない」という曖昧なものであり、明快な結論ではない。演繹法とは明快な結論を得るための論理展開であるのだから、これでは現実的に不十分である。(ただしこれは形式論理の世界では価値を持つ結論である)
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・普遍性が高い命題には社会学的法則がありうる。ESの書き方を指導する際は、単に「ESを書く法則」にとどまらず例えば「新聞記者が守らなければならない文章表現ルール」のようなものを織り込むと正しさが増す。受講生(が実力を高めること)への真摯な態度を示すことにつながる。ひいては他社との差別化になる。
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