勉強をつけずに、無思考無批判でブログを書く。
また一つ年をとった。しかし、まだまだ成長していない。
とどのつまり、思考における成長というのは<変化>の別名である。
以前、自分が見ている点から変化がなければ「成長」とは言わない。
すなわち、同じ事柄を違った言葉でも
表現できることが思考の「成長」である。
その表現の多様さ、豊穣さに届かない状態というのは、
自分が同じ場所からの視点のみに留まって
(凝り固まっている)いることを意味する。
私は思考をリニアにしか詰めない(一方向しか見ない)クセが
あるので、その点には注意すべき。他の角度から無理やりにでも見ること。
批評。(from1月半後)---------------
「事柄を複数の視点から見れることが「成長」であり、それは変化でもある」という主張。
これは正しい。成長とは既存の延長線上にあるものではない。
延長したことなんて自然にできるのだから。
では、変化であるという、根拠はどこにあるのか。
それはカンタンなことだ。
思考の対象となる事柄は空虚ではなく現実ゆえの豊穣さを持つからだ。
現実には必ず対象の"うねり"が存在する。だからけしてリニアに進まない。
リニアしかものを捉えられないと、現実との乖離はどんどん大きくなるばかりだ。
「精神現象学」の中では塩の例で紹介されていた。
塩は白く、辛く、立方体でもあり・・・とさまざまに特定の性質を持っている。
しかもそれぞれの性質は独立していて、
一つの性質とそのほかの性質は何の関係も無い。
「塩は白いから、辛い」とか「塩は白くて辛いから、立方体である」という言い方は適当ではない。
それは対象に沈潜することで初めて見えてくる。
だから、思考は今表出している、現在知覚できるものを延ばすのではなく
対象に真剣に向き合うことが成長(すなわち超越)への道である。