株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強148 日記0109

この3連休中日に、区民ホールで精神現象学を一人で読む。もちろん自分で望んでしたことだが、やはり寂しいことこの上ない。女性に出したメールの返信が音沙汰なしというのも重なり、感情的にどうしようもなくなっている(笑)
精神現象学もいくら読んでも、なかなか分からない。徐々にイヤな気分が広がっていき、何度も投げだそうとした。しかし、決めたことだから、まだ読まないといけない。
気が進まない時もあるけど、そんな時も自分を鼓舞する。だいたい「いずれよくなるよ」と思うより、むしろ「今は世界からけなされているのだ」と考えた方がまだ立ち向かえる。自己意識が世界(というか、いまたっているここ)に荷担している表現だから。
すなわち、泥にはまっているときに「いずれよくなるよ」なんていわれても全く信じられないのと同じ。いい出会いがないんだよな」と期にしている人に「ほら、外を見てください!こんなに女性はいるんですよ」と言われたら、余計イライラするのと変わらない。

役割を演じるだけ。
いつも負けているのは、夜の寂しさ。夜になると活発化し始めてきて、いつも寝るのが遅れてしまう。それは精神が、動物的感情に負けているのだ。動物的感情や確信的反応は、もちろん、それ自体としてあるものだが人間はそれをも意識化に置くことが出来る。実際に置けるかどうかは精神の働きのレベルの高さによるが。

死ぬつもりでこの本を読みたい。この本は難しくてなかなか理解が難しい。本当に読んでて「意味」あるんだろうか、と感じることができずつらい。だからこそ「死」を意識して読むしかない。しかし<死>なんて存在しない。つまり存在しないものを思いつきでもてあそんでいるだけだ。そこが私の思考のクセである。
ごちゃごちゃ言っているが、私があと6ヶ月で死ぬとなったらどうするだろうか。最初の1ヶ月は色の限りを尽くすとは思うが、さすがにもう飽きるだろう。もう間に合わなくなってから、何を残そうとするだろうか。
私のクセとかそんなことは脇に置いておいて、行為を通じて何を残そうとするか。ヒューマニズムを脇にとりさらえるか。死は生まれ落ちたときから所与のものであり、その意味を解釈して反映した行為をとることができるのだろうか。