飛躍するが、俺の狙っているのは、どちらかというと、なんなんだ。
社会に出ているから「社会人」だ。
大学院に行ってもそこは社会で逃げないといけない。
哲学を勉強しても、どこかで終わらせないといけない。食えないから。
でもそれもあれな話で、食えるように哲学したいから働くと言うことでいいんじゃないかとも思う。
だって、本当にハンパなく哲学できるんであれば、
ニーチェやへーゲルのように社会不適合でも世間は放っておかないはず。
(つっこみ:哲学を理解している人であれば、
これほど不用意な「世間」という言葉の使い方はしない。
哲学がハンパなくできた度合いによって、世間が助けるわけではない。)
つまり芸術家と同じ理論。しかも芸術より客観的評価がしやすい分野。
だから、そこで職を与えられるほどの「実力」がないと見なされたということ。
それを踏まえた上で生活を考えないといけない。
→いくら哲学をやっても、認識範囲は広がるかもしれないが、
転職もできないし、仕事で成果を出すこともできない。恋人ができるわけでもない。
その選択肢はどうなのか。
→だって自由になりたいんだもん。(原理的には)仕事と人生は関係ないし、伴侶はいつ死ぬかもわかんないし。
本当にやる気があるのか。会社を明日から辞めて。
→・・・
→ここですぐにフリーズ。なんと軽薄な思考であることか。
自分勝手さ(恣意的な判断)と結びついてしまう。
ブログは「努力」によって100超回アップはできたが、
結局他人はほとんど読んでいない。だいいち読んでも意味が分からない。
後から見返した私がそう思うんだから、心理主義的な「他人」からすると余計そうだろう。
(その意味で後から見返している「私」は、以前の自分からみると他者であろう。
周りからみれば、肉体が同じだけれども。解釈は日々変わり続けている。)
コミュニケーションにおいて「誠実」である唯一にして絶対のルールは、
自分がなにを考えているのかをできるだけ明瞭にすること。
というか、それしかできない。
だからこそ、もう一歩でもまともに書かないといけない。