精神現象学 その● ?.精神
A.心の精神−共同体精神
a.共同の世界−人間の掟と神の掟、男と女
(このパートでへーゲルが言いたかったこととは。
(つまり、私は「何」を読んだのか?)
共同体秩序は、二つの社会的価値へと分裂していく。
一つは人間の掟、もう一つは神の掟である。
この人間の掟と神の掟は対立する権力である。
それは、ただの対立ではない。
一方が他方を確証するような対立である。
人間の掟とは、意識的な共同体精神であり、国家(政府)を確立するもの。割り切って言えば男性的。
神の掟とは、無意識的な自然発生的な共同体を作り出す精神のこと。家族を確立させるもの。女性的。
家族は「自然的な共同体精神」と称することができるが、共同の世界ということはできない。
共同体と関わることができるのは、精神的なものであるからであって、
偶然によって発生したものというのは、成り立たないのだ。
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共同体秩序が自己意識のもとで現実の秩序となり、
絶対の精神として多くの意識に体現されるのだ。
絶対精神とは共同体の精神にほかならず、(後略)
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自己意識とは偶然に左右されないものであることが、
意識的な(意識された現実である)人間の掟と関わっている。
血縁でつながる家族はもともと個別的なものであり、
それが共同体的なものになるには、偶然性ではなく、秩序にかない全体と関連する必要がある。
であれば、そうした個個人を対象としてとらえるには「死」をもってとらえることである。
それが偶然に左右される個人を、単一で安定した一般的なすがたをとしてとらえることになる。
こうした、対立する男と女、人間の掟と神の掟という両者の運動は、中間項において統一される。
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(編集後記)よく分かっていないまま、抜き書き(というか矮小なヒョウセツ)的に書いているので間違いを含んだまま書いている。
しかし(いい意味で)時間がない。いい意味とは、社会人的な時間のなさではなくて、
本当はインプットの為のアウトプットでは在るんだが、
そこも原理的に突き詰めると時間との問題を抜かすことはできない。
(精神は時間を抜きにしては存在しない、とへーゲルも言う)
常に間違いを意識するので、意識力というか集中力を使った。
かつ、この種の間違いは、時間が解決してくれるものではない。それこそ「精神」が仕事をしないといけないこと。