株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強153 日記1218

さぁ、今日は何を読もうかな。

●まともなコンテンツはかならず感性的な指標を必要とする。 ハードカバーの本とその文庫版みたいなもの。文庫版を読んでもありがたくない。
●ストック書籍とは純粋な内容であると言うよりは純粋な表層(=純粋な言葉)のことだ。それはいつも或る感性的な指標に取り憑かれている
。それが書物の場所(=実在的で物質的な場所)の意味だ。ストック度が高い古典書籍ほど、或る空間=或る時間に結びついて存在している。

→でも、図書館は嫌いなんですよね。部屋に蔵書を貯めたがると言う(笑)

一義的な解釈しかできない情報を長年にわたって保存しておくのは、バカな考えしかできいないからだ。なぜか。
一義的ということは、その情報の解釈が毎回同じものしか許さず、つまらないからだ。時間の経過により「古く」なってしまえばもう使えない。「来月の町内会スポーツ大会のお知らせチラシ」の情報のようなものだ。5年後10年後もとっておく人はまずいないし、居たとしてもそれは「意味」が欲しい、すなわち本質的に役には立たせるためではない。ただ心理的に思い出したい、一種の懐古趣味なのだ。その意味では不要な紙に過ぎない。
だから、情報を保存するなとは言わないが、その意味を押さえておく必要がある。「必要のないもの」であるがゆえに人間が生きることに無関係である物理的な広さと体積を必要とする。「無関係」というのは、たとえお金持ちであっても豪邸ではなく一般的なサイズの家に住むように、家の広さは必要性によって生じないということだ。そもそも人間は2000年さかのぼれば皆ホームレスのような状態で生活していた(できていた)。
しかし、それを現在において手にとって入る「私」の時間も経過しているのだ。人間の生が間断なく再生するように、

とりあえず、やってみる。やる気がでなくて「面倒くさい」と感じた場合でも、とりあえずやってみる。それでもうまく進めず気分が優れなければ、おそらく疲れているだ。休もう(笑)あと、食後や暖かすぎる部屋や午後は眠くなるのは人間の基本性質。

バンバン書いているけど、すべてくだらない。俺は自分の過去に甘えているだけではなかろうか。だとすれば「自分に甘く、人に厳しく」という態度でしかない。良くない。しかし「人に甘くする」ということは自分に(短期的な)損を強いることではなかろうか。しかし、会社経営も似たようなものか。自分の生ではないことで人に迷惑をかけられっぱなしのことだろう。

どうせ誰にも見せないので、批判的な意味での研鑽は私自身をたのむしかないのだが、かといって全く緊張感を持たないのも良くないと感じる。少なくとも物理的に言って未来の私がみてもOKなもの、少なくとも読みやすく、何を言いたいか理解できるもの、そしてもしできるのであれば、なるほど。と後でうなづけるもの(すなわち先生が過去のブログを見返したりbotに気づいたりして「なるほど」といえるような状態)
つぶやきっぽくなっている。完全に(笑)