深く考えている人と会うと、バカを悔いる感じになることもある。
■まず知ることは「頭が悪くても、死んではならない」ことだ。
なぜなら、バカは死んでも絶対に直らない。
→頭が悪くて死にたい。
→それは「死んだら、直る」と思っているからでもある。
バカの何がイヤなのか。
バカだと、うまくいくチャンスをみすみす捨てているから。
言い換えると、一生懸命「努力」していて
かつ成功する方法があるはずなのに、
特に制約条件のない、頭の良さ、
すなわち目の付け所と思考の組み立て方によって、
そのやり方を見落として生きているから。
でも、バカでなくなるためには勉強が必要。
その勉強は自分がやりたい分野だけやっていても駄目。
というか無駄。
勉強とは受動的なものからスタートするから。
そもそもバカが選んだものが正しい分野なわけがない。
■このことに気づかないと、バカが加速する。
たとえば、自分が間違った情報に踊らされていたり、
間違った情報を持つ友人をすごいと思ってしまったりする。
そうなると、バカな方向に向かって猛エネルギーで進んでしまう。
(原因は学生時代にいい先生にめぐり合えなかったから、とAは言う)
そのため「勉強」をした経験がなく、
社会人としての知識の蒐集家に成り下がってしまう。
仕事をしろよ。
バカでも何でも「生」=「いま」を糧にしろよ。
確かに「自分でバカ」という自覚が無いからこそ
多くの人は平和裏に暮らしてきた。
想いの重さで仕事に向かえよ。もともと人間とは青春のことだから。
前を向いて事柄に向き合うしかない。