株式投資記録

http://d.hatena.ne.jp/show_t/20170219 努力する人間になってはいけない。このブログでノウハウを集約、整理し、習慣化。それ即ち大儲けも習慣化! いつも心にセリクラを!!!   2018最終日 NK20014 TPX1494

勉強155 精神現象学 その4番外編

精神現象学 その● 番外編 社会が相対的、とはどういうことか

社会は相対的なものである。
だから、俺自身の評価と周りの評価は本来的には関係ない。
だから、「私の自己評価を分かってくれ」は絶対に通用しない。
だから、「俺はOKだ」と言えたとした場合、その本当の意味は「俺自身は相対的にOKである」、すなわち「他者は俺より相対的に貢献していない」という意味に他ならない。それはつまり周りの人間を相対的におとしめていることなのだ。

ということを昔書いていたが、つっこんでいく。
「相対的に貶めている」と言っているが、
これは自分が勝手に思っているだけの独善的な考えであり、根拠が無い。
内容で言えば、結局「他者と自分」の判断をくだすのは筆者自身であり、
それが一般的にも通用すると思いこんでいるが、それ事態が全くの誤解である。

現実に人の評価や判定をくだすのは「世間」である。
周囲からの評価や判定はある種の浮力と関わっていて、
偶然性に左右されるものである。
つまりその本質からして相対的なのだ。かみ砕くと相対的であらざるを得ない。
それは現在は安定したように見える社会的評価も、いつでも転換しうるということでもある。
それも偶然性であるため、転換が5年後か50年後に起こるのか、
またそれが自分にとって好ましい力を持つものかもわからない。
転換により余計に低級なほうに流れる可能性もありうる。

これはある個人にとっては己の能力で制御可能な範囲を超えているため強力な否定として現れている。
通俗的ではあるが、否定力を浴びた個人は、それを受け止められず都合のよい妄言に逃げることとなる。

しかし、精神が力を発揮するのは、まさしく否定的なものからなのだ。

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精神が力を発揮するのは、まさしく否定的なものを直視し、そのもとにとどまるからなのだ。
そこにとどまるなかから、否定的なものを存在へと逆転させる魔力がうまれるのである。
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われわれは社会のなかで生きることを迫られているし、自ら選択もしている。
それは強制というよりは、むしろ個を超えた共同体精神のすがたである。
現在の境遇に関わらず、われわれに流れる個の精神を活かす以外の方法が、ありうるのだろうか。