2022年。今年ほど、株をやっていて心身ともに削られた年はない。まだ8月なのに…とも思うが、そう言いたいほど酷かった。
このブログは株の記録や情報収集用。とはいえ、その範囲に収まらない時も多く、内省的な文章(≒ポエム。俗称)を書いたりしている。私は生来の哲学好き、かつ飽き性の極み。この2つが負の相乗効果を存分に発揮したことばかり書いてる。小難しいことを言おう、として意味不明になり(酔ってる?)、途中で放り投げがちである。。。こんな感じで。
まぁ、飽きっぽいのは性格だから、無理矢理書いてイヤな思いするより、さっさと見切りつける(辞める)方が健全っちゃ健全ではあるが…。書くのをやめるレベルで終わらず、株式投資まで投げ出していた。恥ずかしい…ほんとに恥ずかしい…。
でも、やっと書き始められた。
なぜ、再び書いているか。やっと気づいた。何回目の気づきか知らんけど。
たとえ自分が投げ出しても「ただ、一さいは過ぎていきます。」(太宰治)ってことを。永遠に続きそうな、キツイ下落を見せられて、やる気はなくなるかもしれない。でも、「下げたら上げる」。そうなんです。。1月初頭の泣き続けた局面から、ジグザグしながらも数か月は下げ基調が続いたのは事実。そして自分はそこで投げ出した。
その結果、「ライバルだ」と思っていた投資家たちに、大きく、大きく水を開けられた。悔しい。絶対的な損はもちろん、相対的にもメチャメチャ損した、そう損をした。という認識に至らずを得ないんです。否定したい、否定したいけどね。
一方、自分の目で見て手を動かして得たのは、最悪という経験。暗黒期を過ごした経験。もう買う株買う株、たまに売る株も全部、損する。大損、小損、中損、損、損。これほど、痛めつけられたら、やる気はほんとゼロ。じっくり思考して銘柄分析?できないよ、本当につらい、もう手が動かない。
でもやっとちょっとやる気出てきた。少しでもいいから動き出そうとして書き始めた。それが正直なところです。それが相場を再開するのに良くないタイミングだったとしても。
復活した、今だからこそ、1つは前より良くなりたい。
そういう意識から思ったことは、「広い視点でとらえ直したい。」だった。
もともと、株をやる理由は何だったか?お金ほしいからだろ。
いくら?いつまでに?何に使う?使った残りは運用する?仕事はどうする?を考えておくことでしょう。その根っこから、日々のあらゆる意思決定が生じてくる。そう捉えられればブレることはない。
続く…。