勉強73 哲学入門(ヘーゲル) その2
理論と実践の違いはどのように既定されるのだろうか。
理論的意識はあるところのものを考察し、それをあるがままにしておく。これに反して実践的意識は活動的(行為的)意識であって、あるところのものをあるがままにしておかないで、あるところのものの中に諸々の変化を作り出し、自分から諸規定と諸々の対象を算出するものである。
(p28 第一課程 緒論の説明 四)
いわゆる「理論的な態度」というのは、自我が対象によって規定される場合のことである。
その際は、「私」は自分の内部に規定を持っていて、それが対象の規定との一致することによって真理と呼ばれる領域に達する。
我々の意識が理論的である場合、我々の意識にとっての法則は全然受動的なわけでなく、意識はそのはたらきを対象的なものを受容することに向けねばならない。
或ものは我々の知覚の対象であり得るが、それかといって我々がもししそれに我々の活動を向けないなら、我々はそれについて意識を持たない。この需要の活動は注意である。
(p28 第一課程 緒論の説明 四)
そして、相手の心の中に移ったものがついさっきW杯デンマーク代表のトマソンの話題が、ずっとみんな信じてきたのに「実はガセだった」みたいな話があった。
ガセにも関わらず、なぜ広まってしまうのか。それは人を惹きつける話には存在そのものは必ずしも必要ではないからだ。
想像力が別の対象の心像を結びつけるところの当の対象が現在存在しているということは必ずしも必要ではない。この対象が表象の中に現前しているだけでもよい。想像力の偉大な産物は言語(Sprache)である。言語は外的な記号と処々の音からなる。それらによって我々は自分の思考や感情を他人に知らす。言語は処々の語(Worte)から成る。語は思想の記号にほかならない。
(p29 第一課程 緒論の説明 五)
そもそも文字は、表象文字から文字へと進化したように、
文字そのものはイメージを言語に落としたものであったのだ。
だから、イメージ言語が先にありそこから文字言語へと落ち込んでいくのだ。
それが効率的であるがゆえに人は文化を向上させてきた。