哲学入門(ヘーゲル)
想像とは何か。その2
■我々は、表象と思惟の違いを取り違える。
表象・・・外的な非本質的定在の面でも見る。
思惟・・・非本質的なものを切り捨て、本質のみ取り上げる。
内的本性をその対象にする。事物の偶然的なものを除去する。
では思惟とは、どういう働きを指すのか。
直観においては我々は個別的な対象を目の前にもつ。思惟はそれらを互に関係させ、またそれらを比較する。比較によって思惟はそれらが互に共通にもつところのものを取りあげ、それらを区別するところのものを取り除き、それによって一般的な諸表象を獲得する。
(p30 第一課程 緒論の説明 六)
経験的な話をすると、ロジカルシンキングの基本と本質は同じである。
個別具体の対象を、狙う、集める、分ける、まとめる、切る、(捨てる)、並べる、揃える、動かすということ。
一般的な表象は、この一般的なものの下に従属している個々の対象よりも規定性をより少なく含んでいる。なぜなら、一般的なものはまさに個別的なものの除去によってのみ得られるものだからである。
(p30 第一課程 緒論の説明 六)
一般化して話ができるからこそ規定されていることもまさに一般的に少なくて済む。
より効率的な伝達を可能にできる。(機能主義な見方ではあるが)
我々は追考(思索)によってはじめて、何が根拠と帰結、
内的なものと外的なものであるか、何が本質的なものであり、
何が非本質的なものであるかを知るようになる。
(p30 第一課程 緒論の説明 六)
自我と対象との相互の関係について見ると、自我は受動的なものであるが、対象は自我の中の諸規定の原因と見られる。この場合には、私が私の中にもつところの特定の各表象は、直接的に存在するそれぞれの対象が私に印象を与えるということから生ずる。これは理論的意識である。理論的意識は知覚的であれ、想像力としてであれ、或いは思惟的であれ、それの内容は常に存在するものがその内容である。
(p15 第一課程 緒論 三)<<